7. 量子力学による自然啓示(2)   ・・・・・  預言のあかし



  ただ神の存在を信じているだけならば、悪魔の信仰と大差は無い。「悪魔も神を信じ、震えおののいている」
  そこで、「あなたは神を愛していますか」、すなわち、神が語られることばに聞き従っているかどうかが最終的に問われるのである。
  ”信仰”の 第2義的な意味は、神のことばに聞き従うことである。十字架がまだ明らかにされていなかった旧約時代の信仰のあり方は いつもこのようである。この場合の”神のことば”とは、すでに編纂されている”書物”としての聖書のみことばや制度的な教団の教理・方針・スローガン、人間的な教え、などの”文字(もんじ)”ではなく、”神が今語っていることば”であり、たとえば、みことばからの語りかけ(いわゆるレーマ)、霊的な預言・幻・夢、想いに来る語りかけ、環境からの示し、説教からの語りかけ、御使いや主ご自身より直接、など)の事で、聖霊様が伴い 生きていることばである。
  このように、神は、”ことばの神”であり、天地創造の時に行われただけではなく、現今の奇跡、すなわち、再創造のわざについても 神の発することばによって成されるのである。そして、そのしもべ(旧約時代には預言者・祭司、新約時代にはすべての信じる者)には、何らかの形でことばを語ってからでないと何事もなさらない。そして、神のことばは 必ず事を成し遂げるのである。(イザ55:11)  ただし、語られた神のことばに対する 聞く人の応答の態度・・・特に、その人の語ることば”がその成就に大きく影響する

  また、すべての神からの賜物についてもそうであるが、御霊が分け与える9つの賜物(特に預言の賜物)は、主をあかしする目的で、主がその人を信頼して、神の能力を 人に権限委譲するものであり、賜物(タラント)の行使はその人の裁量に任せられる。なんと、「預言者の霊は預言者に服従する」(Tコリ14:32)ほどにである。これは悪霊による圧迫と区別される点である。 また、預言する対象は 人の理性を超え、抽象名詞についてもなされる。

             →  賜物・特に預言を求めるべきことについて:



  (1) 相対論による時間の扱い:


  神は、時間をも超越している。したがって、未来のことをもよく知っておられる。 一方、物理学的に未来のことを垣間見ることはできない

  1)  相対論によって、過去の時間的に伸ばされた短時間の形跡を知ることはできる。
  たとえば、宇宙からの陽子などの高エネルギ−の一次宇宙線は、上空約20000mで大気の原子に衝突してしてμ中間子を叩き出し、これが地上までやってきて観測することができる。ところが、このμ中間子は平均寿命が2.15μSと短く20000m移動する前に崩壊してしまうはずである。(μ中間子の速さが光速としても、3×108×2.15×10-6 = 645mにしかならない。) ここで、時間遅れ効果により、地上の短い時間に中間子が長い時間が経ってしまった形跡が残るとすると説明がつき、ロレンツ変換の式よりその速度は光速の99.9%以上である事がわかる。
           
 (ただし、光速の99.9%で飛行できる宇宙船があって、双子のうちの一人がそれに乗って5年間宇宙を旅して無事に地球に帰還したとすれば地球の様相は112年先になっている、ということはできない。(双子のパラドックス) なぜならUターンするときに加速度運動を含むからである。Uターンしなければ 相互の観測は一度きりで、二度と会うことが無いのでパラドックスは発生しない。相対性は、等速直線運動についてのみ。加速度運動や回転については絶対的な基準が存在する。宇宙の背景放射(3°K)の一様性から、(たとえ宇宙が回転率の非常に低い回転宇宙であったとしても、)少なくとも近似的にはマッハの原理が成り立つ。)

  2)  地球の重力場において、コバルト57(Co57)から発せられる γ線は 高さの差が数十cm〜数mの重力場がわずかに異なる水平な経路を通ってから合成させると、ラジオ波(f = 〜数Mc)程度の干渉波が観測される。すなわち、重力場の強い方が時間の進み方が遅いことが実証された。これは 線源を数cm/sの速さで移動させてもドップラー効果が同じように観測された。(メスバウアー効果)
  したがって、一般相対論によって予想されたブラックホールにおいても、そのシュバルツシルド半径 Rs に近づく時計は、外部の観測者から見て時間の進み方が遅いように観測され(落ち込む一瞬の間の近い過去が間延びして観測され)、Rsで進み方は 0 となるように見える。(ブラックホールに落ちていく時計自身の時間の進み方は変わらない。一瞬で”点”に潰れる。) もちろん Rs 内部の情報は外に出てこない。

  このように、1) 等速相対運動によっても、2) 重力場によっても、未来に行くことも、未来の情報を手に入れることも、原理的に不可能である。
  (タイムマシン(時間の逆行)や虚時間の理論などは、パラドックスが発生し、因果律的にナンセンスである。それらの多くは数学上の産物で、物理的にはそれほど画期的な成果は出ていないのである。(相対論を批判する人は多いが、本に出版されているのも含めて、その推論の多くはまちがっている(それほど間違いやすい)ので注意))
                                        ( → 相対論の概略 )


  (2) 純粋状態と預言:


  物質の波動性より、波動関数には位相項が必ず伴う。 状態ベクトルの抽象的なベクトル空間(数学的には ヒルベルト空間)には、基準ベクトルと状態ベクトルの間の位相角 θ が存在する。
  たとえば、
  ・ 状態ベクトルを規格化しても位相は決らず無限の任意性を残す。 
  ・ 物理量 の1つの純粋状態 における期待値は、
       で、
  指数関数部が 複数の状態 α 〉、 β 〉 どおしの”干渉”を表す。
  単なる混合は     のようになり異なる。(* その他 参考2)

  ここで、2つの異なる線源から1つに合成した電子線は、それぞれの線源の固有状態  の強度を同じにつくっても、 位相 exp(iθ) は全く乱雑である。この場合、スピンの z 成分を測ると 確率はそれぞれ 1/2 であるが、ある物理量の固有状態にはなっていない。このような、1つの状態ベクトルで表せない状態を、”混合状態”と言う。(EPR問題はこの例)

  一方、1つの線源からの電子線(2つに分けてから1つに再合成した場合も含む)は、 において展開した 基底ベクトル α 〉 と β 〉 との間の位相が、
             の場合 1、   の場合 −1、   の場合   
  であり、  のように 重ね合わせの原理によって 1つの状態ベクトルをつくる。
  光子の場合は、ボソン(光子:スピン0=整数)なので同一の場所に集まろうとするので、ビームスプリッターで再合成されるとき片側に寄るので、この相関が観測対象となる。(中性子はスピン1/2)

  遅延選択実験では、同一の光源からの一個の光子をビーム・スプリッターで2つの偏光(反射と透過)に分けるため、位相が一定になっている。 したがって、光路系(ビーム・スプリッター、光路1、2、高速スイッチング素子(ポッケル・セル)、ミラー、再合成用プリズム)が全て1つの状態ベクトルで表せる”純粋状態”の系になっていて、量子力学的状態の干渉が適用され、粒子が切替えを”予知”していたように振舞うという特異な現象が起こる。
  装置系の純粋状態が壊れていなければ、どんなに距離が離れていても問題にはならない。これは光が光速であることよりも根源的な性質である。(分離不可能性と波束の収縮)
 ( 注) ホィーラーの重力蜃気楼によるクェーサーからの光は明らかに純粋状態ではないので論外)


  さて、この装置系で、入力される光を”神のことば”切替えスイッチを我々の”舌”とするとどうだろう? まさしく、”預言”のシステムができあがる。 そのための条件とは、神である主と”純粋状態”の関係にあることである。
  預言とは、神の啓示の賜物の一つで、唯一、未来を持ってくる賜物であり、御霊が与える9つの賜物の中でも特別なものである。神がことばを発せられた後で、我々が語ることばによって その成就が変わる。
  ことばによって未来を持ってくることができる理由は、神が、唯一、未来を知っている為である。このように、時間を超越しているのは神だけであることが 預言によって証しされる。 ちなみに、”知識のことば”は過去、”知恵のことば”は現在、そして、”預言”は未来のことについての”啓示の賜物”と呼ばれている。

   「イエスのあかし(イエス様の時間・空間を超えた神性のあかし)は預言の霊です」(黙19:10)

  全知全能の神との霊的な関わりが、位相がすべて揃っている”純粋状態”のようであるならば、この地上において、三位一体の中心点から予告的な神の啓示をいただくことができる。しかし、”混合状態”のように、神と別の光源で位相が乱雑な場合は(救われていても)何もかかわりを持つことはできない。

   「愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています」(Tヨハ4:7)
   「(多くの群集が押し迫っているのに)私に触ったのは誰ですか?」(マコ5:30)

    神は空間、時間を超越している”予定論”の神であり、一方、人の”自由意思”を認めて 神の権限をも委譲する。霊的な確率分布の高いところから預言を語ることができ、その成就はすべて条件付である。


   (参考 1)  三位一体と預言との関係: 

 神は、ことばの神であり、神のことばにより、創造・再創造のわざをなされ(創1:3、ヨハ1:3)、神のことばがすべてのわざを成し遂げる(イザ55:11)。これは人間の理性を超え、抽象名詞に対しても命ぜられる事である。
 また、神が時間を超越した存在(ヨハ17:5、ヨハ1:1)であるので、神が語ったことばは、すでに成就(完了、贖いについては完済(直訳)の意(ヨハ19:30)しているのである。これは時制を問題にしない聖書ヘブライ語の文法に適合している。 知識(過去)、知恵(現在)、預言(未来)は、啓示の賜物のカテゴリーに属する。

 また、三位一体とは、神の愛の性質そのものを表す。御父は御子にすべてを与え、御子は御父にすべてを与え(ヨハ17:10)、聖霊様を通して三位一体の交わりに人類も入れられた。このように、神の本質が”与える者”であるゆえ、神の国は永遠に続くのである。(サタンの国は、与える事を知らない自己中心であり、そのような国は分裂して長続きしない。世の終わりの反キリストの国も一時的なものである。異端はこの三位一体を理解できない。)
 クリスチャンがいのちを持ちつづける秘訣は、単に救いを受け取るだけでなく、弟子となって、与えられた恵みを流し出す事である。(ヨルダン川と死海のたとえ、また太陽のたとえ) イエス様は神の管として、御父からのあらゆる恵みを流し続けられた。預言者は、神のことばを受け取って流し出す事について、管に徹する職務である。

   預言は、父、子、聖霊なる三位一体の中心ポイントに位置している。すなわち、御父から教会に与えられた7つの奉仕( ロマ12:6−8)、イエス様が与える5役者の任命(エペ4:11、12)、聖霊様が与える9つの賜物(Tコリ12:7−11)の、いずれにも共通しているのは預言だけである。預言者は、神の戦略的レベルで、神の三位一体を余すところ無くあかしする職務である。
 預言者に必須の賜物は、啓示の賜物(預言、知恵、知識)と霊の見分けである。
 天国の預言者の家の中を、他の誰も永遠に見る事は許されていない。


  (参考 2) 位相の続き:
    ・ 超流動などの マクロ波動関数の場合、   として、   のように、絶対値と位相 とに分けられる。この粒子(ボース粒子)はすべて同じ状態に凝縮している。(コヒーレントな状態)

   ・  アハラノフ・ボーム効果より、ベクトルポテンシャルは電磁場よりも根源的な量である。
  波動関数を抽象的な空間(内部空間)のベクトルとおくと、内部空間の基準ベクトルとのなす角は 位相角 θ になる。 基準ベクトル を最短距離を通って 時空点 x+dx (x=x、y、z、ct) まで平行移動した ベクトル ’と、点 x+dx での内部空間の基準ベクトル とのなす角を Q dθ(x) とすると、
         の比例係数 A(x) を 4元ポテンシャルとする。(ゲージ場
  物理法則が ゲージ変換に対し不変であること(ゲージ原理)から、電磁気力、強い力(核力)、弱い力が導かれる。


                本文1.へ戻る        トップへ戻る