十字架信仰の力 ・・・・・・・  2022年巻頭言
                                                           2022 1/4




   「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちに、ききんが起り、疫病が起こり、また地震があるからです。」(マタイ24:7)  (* アレキサンドリア型では抜け)

   「また不法が増加するので、多くの人の愛が冷えるでしょう。
    しかし、終わりの時まで踏みとどまった者は救われます。
    そして、この御国の福音は、全世界に宣べ伝えられ、すべての民族にあかしされ、それから終わりの時が来ます。」 (マタイ24:12−14)

   「また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくありません。
    自分のいのちを見出す者は それを失い、 わたしのために自分のいのちを失う者は、神のいのち見出します。」 (マタイ10:38、39)



  ● 昨年も引き続きコロナが流行った年でしたが、ワクチン接種が進んでいるにもかかわらず、今年もアメリカ、ヨーロッパ等で猛威を振るっています。ただしデルタ株は収まりつつ、南アフリカで発生したオミクロン株が主流になりつつあります。しかしこれは感染力は強くても、重症化率、死亡率は低く、次第に普通のインフルエンザのようになってきているように思われます。
  海外の様子を見ると、マタイ24章の「生みの苦しみの初め」がすでに始まっていて、ほぼ「黙示録」レベルのさばきに近づき、”艱難期 前 携挙説”が間違い教理であることが証明されつつある状況です。

  ただしマスコミは相変わらず、脅威ばかり喧伝し、ワクチン接種をする方向に持っていこうとし、ワクチンの利権の擁護に回っています。
  日本は、やはりBCGの tokyo-127株が利いていて、感染率、死亡率共に世界の国々の百分の一のオーダーをキープしています。 (台湾もこのBCGのために低い。 一方、韓国では、20年春先に集団感染を起こした新興宗教はBCG接種の義務がない 大邱(テグ)市にあり、また他の都市でもBCG接種を全員がしているわけではないので、増加傾向にある。)

  ● アメリカの影響力の強いイスラエルでは、3回接種が進んでいますが、主にデルタ株が猛威を振るっています。 イスラエルは、昨年6月3日、12年間首相を務めたネタニヤフに代わって極右政党イエミナを率いるナフタリ・ベネット前国防相が就任し、2年間は首相を務める事になりました。 早速、ゴラン高原への入植を強化しています。

  ● ドイツは、デルタ株が猛威を振るい、同時に、16年間首相だったメルケル氏(ドイツ・キリスト教民主同盟)が昨年12月9日に退任しましたが(社会民主党のオラフ・ショルツ氏が新首相)、10年前決定していた 脱原発の期日が2021年12月31日であり、ドイツの3機の原発を停止することと併せて、昨今のガス高騰のため、 ドイツ全土にブラックアウトの危機が訪れています。
  また、多くのシリア難民を受け入れたがため、教育や就労に多くのひずみを起こしていることと合わせて、このままいくと、エゼキエル書38章6節の 「ゴメル」の様相を呈してきています。 (あるいは、ヒトラーの再来で、そのまま反キリストの国になるか?)

  ● 日本は、岸田新首相になったにもかかわらず、就任早々早速アメリカに呼ばれ消費税を変えない等、アメリカの息のかかった政策を行なっています。(小渕元総理のような地味でも誠実な人を期待したが、財務官僚のようにナチスのアイヒマンに近い?) そもそも10月31日の京王線の事件も、その同じ日の開票の日に行なわれた不正選挙のためであり、〇価学会で育てられたアクシデント・アクターらの演出によって隠蔽され、その見返りに不公平感のある18歳以下および低所得者への10万円給付(当初クーポン券発行、事務費で稼ぐ)が行われました。
  あとは改憲に期待したいところです。(安保反対は、もともと脱アメリカ軍の良い運動だったが、紛れ込んだ過激派のため、結局潰された。)

  ● 21年12月1日、天皇皇后両陛下の長女・愛子さま(2001年生まれ)が20歳の誕生日を迎えました。 女性天皇の是非については、2006年9月に秋篠宮悠仁さまが誕生する前の05年では、容認論が86%に達しましたが、最近でも女性天皇でも良いという識者の見解もあります。 日本国憲法1条から8条には、2条に、『皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する』とあるだけで、男系とも女系とも書かれてはいないので、違憲ではありません。 (女性天皇は、歴史上8人いて、特に飛鳥時代から奈良時代にかけての約200年間に6人もいる。)
  また、愛子さまは生まれつき自閉症で、(子供の時からすでに影武者がいるが、)特に2017年の”激やせ”報道の時点で明らかに、影武者が代理を務め続けている、といううわさを聞きます。宮内庁は、歯列矯正したためと言っていますが、目の間隔 vs.目から口までの長さ、の顔の縦横の比率が大幅に変わってしまうことなど(たとえ整形手術したとしても)ありえないことです。 個人的には、本物の愛子さまが(多少自閉症でも)即位されることを期待しています。参考1参考2

  また、天皇家が明治天皇以来、全員クリスチャンであることが 公然とあかしされることを祈っています。 (→ 十字架信仰の力2018の中ほど)

  ● 北朝鮮の金正恩も コロナが流行った時期に激やせして、影武者ではないかとささやかれています。金正恩については、ヘンリー・グルーバー師(2019年10月10日 昇天)の遺志を継いで1年ほど祈りましたが、このような変化が起こっています。 今後の動向を見守っていきたいと思います。 北朝鮮も日本同様東の端の方にあるので、終末の大リバイバルに用いられるでしょう。 (金正恩の曽祖父(康敦U、キリスト教長老会の牧師)がピョンヤン・リバイバルの時の働き人で、また祖父の金日成(抗日運動家、北朝鮮の指導者)の妻もクリスチャンだった。)

  ● 最近深い所からの地震が多いのが気になります。 関東・東京大地震に直結するかもしれません。 また、(専門家も言っていますが、)富士山噴火も、そろそろ周期的に起こる時期になっている可能性があります。 神のさばきとして、ここで大きいのが一発来るかもしれません。





  終わりの日の「不法」の増加(マタイ24:12)とは、この世の不法もありますが、キリスト教会で 「律法」を無視すること、守らないこと が元々の意味です。 律法、すなわち、みことばにある、十全な祝福を受け取らせないようにすることを意味しています。
  日本のキリスト教会の多くは、アメリカの伝統的な福音教会の影響下にあり、戦後教会堂を建ててもらい宣教師が遣わされるなどの、さまざまな人的経済的援助をしてもらったと同時に、間違った教理も伝えられました。 みことばにある、新約時代のキリスト者に与えられた 「御霊の賜物」(Tコリント12章)や 「御名の権威」、「信じる者に伴うしるし」(マルコ16:15−18) という霊的武器の行使を、間違った教理としてとどめる働き、すなわち、「反カリスマ」(Tコリント13:10の曲解)や、もう一つの間違い教理である「艱難期 前 携挙」(Tテサロニケ4:13−17の曲解)などです。 このため、教会は御霊の力のない状態に陥り、せっかくの日本の歴史の節目にあった、いくつかのリバイバルの絶好の機会を逃してしまった、という問題があります。
  このように、不法がはびこるなら、「愛」 すなわち、神様との「愛の交わり」も当然 冷めてしまうことになります。

  疫病や地震などは「生みの苦しみの初め」であり、その後に、この「不法」が邪魔をすることになります。 ここで、主の側について主と共に死ぬ覚悟が必要となります。 もし、この世を愛し、みことばに逆らうなら、救いを失うことになります。自分の保身を考え、教団というこの世の制度に従い、みことばに逆らうことを主張するなら、いのちを失うことになります。

   「人はうわべを見るが、は心を見る。」 (Tサムエル16:7)

  これは、預言者サムエルがダビデを選ぶ時に 主が言われた言葉です。 ダビデが一人で羊飼いに出されていたことは、羊飼いの仕事に忠実ならば、ライオンや熊などの害獣との闘い(・・・主は力をダビデに与え、超自然的な力で撃退していた(Tサム17:34−37))があり、常に死と隣り合わせの仕事だった、ということです。 主は、ダビデの心の中に、「死ぬ覚悟」を見ておられたのでした。これがイスラエルの王、油注がれた者としての、「選び」の条件です。
  ヤコブがもものつがいを痛めたのも、エサウの前から真っ先に逃げることができないように、との、主のあわれみです。ヤコブはここで覚悟を決めた。(創世記32:24、25、33:3) イサクもしかり。(創22章)、サムソンも しかり。(士師16:30)、ダニエルのともがらも しかり。(ダニ3:18)、使徒ヨハネもまたしかり。(ヨハ19:26、27)

  ● 死ぬ覚悟ができている器(実際殉教した人も含め)の 霊の見分けは ○:  ビリーグラハム、羽鳥明、本田弘慈、ヘンリーグルーバー、昭和天皇、中村哲(アフガニスタンで殉教した医師) ○、 病床で死ぬ間際に信じた人は○、死ぬしかないから、  チョー・ヨンギ師は、2021、9/14に召されて(85歳) ○ になって天国固定。株式・脱税で訴訟されていたときは(多分はめられて、人を赦していなかった?)良くなったり悪くなったりだった、  ケネス・ヘーゲン、滝本明(×)
   昭和天皇が敗戦時マッカーサーに会いに行ったとき、「自分が「罪」だから、自分を死刑にして、国民を許してくれ」と頼んだので、フリーメイソン33階級は名誉階級で 実はクリスチャンのマッカーサーは、この言葉に感銘を受け、天皇を赦し、また尊敬しました。


  また、大リバイバルが起こり、全世界に福音が宣べ伝わって、それから迫害が来ます。 リバイバルの次は、迫害です。
  この場合、迫害は、教会内部ではなく、外部(=反キリストの陣営)からの組織的なものです。これに対しては、終末のあるタイミングで、「逃げなさい」(マタイ24:15−22) と語られています。 おそらくこれは、大リバイバルの時は、多くの恵みが表されるゆえに、人々がクリスチャンに好意的であっても、「(主の、)二人の証人、二人の預言者」(黙示11:3−6)が任命され、全世界に災いをもってあかしする時は、キリスト者は完全に嫌われ者になるはずだからです。


  確かに、リバイバルの福音宣教の時には、主の恵みをあかしするために、多くのキリスト者に繁栄が導かれますが、あくまでそれは一時的なものです。 神様は気前の良い方であり、この時とばかりに非常に多くの恵みと霊的な祝福を溢れるほど注いでくださいます。 ただし、アズサ・リバイバルやピョンヤン・リバイバル、アルモロンガ・リバイバル、昔のキリシタン・リバイバル、大昔の INRI リバイバルなどを見ると、リバイバルの期間は長くて数十年と、短い。 しかし、短くても、リバイバルにあずかることは貴重です。 人々を収穫する、天上に宝を積む、と同時に、「予備の油」(マタイ25:1−13)を蓄える時でもあるからです。 そしてリバイバルにあずかった人々の「信仰」の土台は、知恵によらず、「力」によるもの(Tコリ2:5)なので、終末の試練・誘惑にも耐えられる強いクリスチャンに成長していきます。

  その後は、書かれてある通りに、「終末の反キリスト」が現れ、大迫害に転じて、キリスト教勢力を全世界から抹殺してしまう(ダニエル12:7、黙示録13章)ので、あらかじめその覚悟でいて、この世のものや富に執着することはやめなければなりません。 この世の富に執着することは意味がないだけではなく、命取りだと言っています。(「(にせキリストの霊のいる)部屋に物を取りにさえ入ってはいけない。」、「(ロトの妻のように)後ろを振り返ってはいけない。」、など)
  脱出先では、主は、出エジプトの民のように、直接的に、完全に養ってくださいます。(マナ、水、雲の柱と火の柱(=冷暖房)、着物は擦り切れない、など) 私たちは出エジプトの民と違うところがあります。 3年半+αの間、荒野にいても不信仰にならず、つぶやかず、霊的に目を覚まし、主に祈り、礼拝を捧げるという「ともしび」を灯しつつ、主の再臨を待ち望みます。
  そして、主の再臨の時(=ただ一度の再臨)、私たちは御使いによって空中に携え上げられ、同時に 朽ちない体に変えられます。(Tコリ15:51、52)


  殉教は、特に語られている人々に(名誉の殉教として、 ・・・ 殉教者の特別な割り当て地がある(黙示6:9))成就します。 主と共に死ぬ覚悟はすべてのクリスチャンに必要ですが、すべてのクリスチャンが殉教するわけではありません。これは主のあわれみによります。
  中国の家の教会の人々は今、組織的に投獄されていますが、そのあかしによると、たとえば当局の用意した拷問の機械が全て壊れた そうです。 戦時中の日本でも、ホーリネスの牧師が大胆にキリストをあかしし、天皇礼拝を拒んだため、当局によって投獄されました。しかし、空襲で住んでいた地域が皆焼け、彼を逮捕した特高の人たちも死に、彼だけが牢屋にいて助かったそうです。まさに、自分のいのちを主に捧げて、かえって いのちが守られました。

  また、キリシタン時代の殉教でも、火あぶりの刑で 女性と子供たちは 足に火が届いた時点で あまり苦しまずにショック死したそうです。また磔(はりつけ)にするための道中で、役人が彼らを火山に投げ込んだときは、ダニエルたちのように、まったくの無傷で出て来たそうです。磔の時も、最初の”見せ槍”(一度、目の前で槍を交差する)でほとんどの人々は気絶したそうです。
  使徒ヨハネの弟子、2世紀のスミルナ教会の監督ポリュカルポスは、前日 自分の寝ている枕が燃える夢を見て、「明日、私は火刑に処せられる」と言った。刑の当日、執行人が縛ろうとすると、「そのままで大丈夫」と言って、鎖のない直立姿勢のまま、天に召された。 死の痛み苦しみも、守護の御使いによって厳密にコントロールされます。
  沖縄の”ユタ”からクリスチャンになった高齢の姉妹もあかししています。 (ユタの修行に比べれば、)殉教は楽ですよ、と。

  一方、”艱難期 前 携挙”という にせ教理のために、終末の備えができていないで、殺された場合、不名誉の殉教となります。(「霊だけは救われる。」(Tコリ3:15))
  あるいは、つまずき滅びる可能性があります。(「できれば選民をも惑わそうとする」) キリシタン時代、”転んだ”キリシタンたちが、救われている、転んでいないキリシタンたちを最も迫害しました。 (形の上で)キリスト教界から出た、裏切者の、「終末の にせ預言者」(黙示13:11)は、最も典型的に大迫害の首謀者となります。

  私たちは、リバイバルを祈ると同時に、終末・再臨のためにも並行して祈り備え、また主と共に死ぬ覚悟でいなければなりません。 十字架はまっすぐ負うなら 軽く、偏った負い方をすれば重くなります。 あわれみは、主の方から成されます。





    (追記)









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