4. 物理的発想について



  芸術作品が芸術家の性格を反映するように、すべての被造物は、創造主である神様の御性質の一部を反映するはずである。そこで、物理的な原理や発想を考察するならば、神様が物理を通して表わそうとされる「自然啓示」を知ることができると考えられる。



  (1) 4次元中の3次元:

  ミンコフスキー空間 (1、x2、x3、ix0)、 (0ct )は、時間をも4つ目の座標として、4次元の幾何学にして表現するものである。ユークリッド空間では、座標一つ一つは独立していたが、これは、複素数のベクトル表現(ガウス平面の座標) ( x 、i y ) と似ている。特殊相対性原理により、光速がすべての慣性系で一定である要求から、座標がこのように”丸められる”。( 2 =−1 による) また、複素数では、実数座標と虚数座標の割合が 1:1 であるのに対し、これは 3:1 の座標を占めている。

  リーマン幾何学によると、4次元空間中の3次元空間は、曲率が正であるとき、閉じた3次元球面となる。その球面の方程式は、
                  、(k は正の定数)
であり、3次元極座標(r、θ、φ)で記述すると
                x = r sinθ cosφ、 y = r sinθ sin φ、 z = r cosθ、 w = √((1/) − r2
となる。
  ここで、4つ目の変数 w は r で表現され(丸められ)、3変数である。(直感的には、3次元空間中の2次元球面を描いてみるとよく分かる。) この3次元球面の体積は有限 π2/(√(1 − k r2)) であるが、どこまで行っても果てしない空間である。(→ 1. 4次元空間中の3次元曲面

  さて、この空間の中にいる3次元の生き物は、自分はまっすぐなユークリッド3次元空間にいると感じ、曲がった空間にいるとは思わない。それは、ちょうど、地球の赤道や子午線の上をまっすぐ行っているつもりでしばらく行くと、一周して同じ所に戻ってしまうことと同じである。つまり、この閉じた3次元空間は、有限であるが果てしないからである。
  ここで、もし、3次元にいる者が2次元球面上にある物を球面上から取り除いたとすると、2次元球面上を這っていた生き物には 突然その物が消えたように見える。同じように、4次元のある人格者が、3次元球面上に物を置いたとすると、3次元にいる生き物は突然物体が現れる”奇跡”を見るのである。このように、4次元は3次元を支配する。このことは、空間の曲率が 0 であっても、負であっても同じ事である。
  この、4次元空間中の3次元空間という設定は、霊の世界を類推するのに大きな助けとなる。( → 5. )



  (2) インフラトンとビッグバン:

  ビッグバン説、インフレーション理論そのものは間違っているが、それらの発想法は大変興味深い。

  宇宙の原初にインフラトンという仮想的な粒子を想定するならば、なぜ、それが宇宙全体にある膨大なエネルギーとして理論展開されるのだろうか? それは、インフラトンが、高次元の粒子として想定されたものだからである。

  そして、それは 霊の世界で言えば、ちょうど4次元の「種」のようなものである。その種は、3次元の物質世界よりも高い次元の存在で、その種自らが零点エネルギーを持って振動して、生きている。このゆらぎの振動は、意外なことに、4次元の世界にあっても あたかも古典的な力学法則に従って振動しているものとして理解される。また、その種の中に、すべての情報が含まれ、神様にあって因果律が成り立っている
  それが3次元の中に解き放たれると、所定の力が分離して現れると同時に、非常に急激に膨張する。3次元から見ると、その4次元の種は膨大なエネルギーを持っているので、それよりも低い次元の3次元世界の中に、光をはじめ、あらゆるものを創造していく。そして、全体が膨張し続け、互いに因果関係を持たない領域ができるほど、大きく広がっていき、また、3次元世界全体に、初期のゆらぎの形跡として、その種の良い特徴が残るのである。
  「光よ、あれ。」(創1:3)
  初めに、光(質量= 0)が満ちた状態、すなわち、”輻射優勢”ならば、宇宙は果てしなく大きく成長し、もし、初めの状態が”物質優勢”であるならば、ビッグバン宇宙はそれ自体の重力によってビッグクランチしてすぐ潰れてしまう。

  「天の御国は、パン種のようなものです。女が、パン種(=4次元の種)を取って、三サトンの粉(=3次元の世界)の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」 (マタ13:33)
  この「パン種」とは、神のことばみことば の事である。みことばは、それ自身で 大いなる発展を引き起こすいのちを持っている。



  (3) 2大物理定数:

  相対性理論を代表する 光速(c)と、量子論を代表する プランク定数(h)は 2大物理定数と呼ばれる。その他の定数は、日常世界の感覚に適合させて用いやすいようにした派生的な定数であり、本質的なのはこの2つだけである。 c = h = 1 とおいた”自然単位系”は、表記が簡単になるので素粒子論で普通に用いられる。(cf. 数学定数は π、 e 、 i の3つ)
  任意の慣性系における光速は一定(c = 30万km/s)である要求から、空間のほうがローレンツ短縮し、E = mc2 のように、エネルギーが静止質量に”結晶する”。 (一般相対性理論では光速は変化する) また、あらゆる物質は”水面下”の複素数の波動であり、その振動数とエネルギーは ε = h ν の関係があり、h は粒子と波動を結びつける。 h は物質の存在に”広がり”を与え、トンネル効果によってポテンシャルの壁をも通り抜け、最低エネルギー状態でも零点振動のエネルギーを持つようにさせる。また、この不確定性原理は、粒子に対し”仮想的な粒子”の存在を短時間可能にし、これが粒子間に働く基本的な力となる。(→ 4つの基本的な力
      
  この c (特殊相対論)と h(量子力学)が合体すると、ディラック方程式により、”スピン”、”反粒子”が現れ、物質は生成・消滅し続けていることが分かり、自然のもつ対称性が記述されていく。 このように、c と h の合体は、物質の生成・消滅の”窓”であり、”有から有への変化”はこの”窓”を通して行なわれる。
  神様は、物質にこのような4次元への窓を備えられたのだから、人間という”霊的な生き物”である我々にも、”霊的な窓”が備えられているに違いない。これが、精神と霊が重なる部分である。



  (4) ゲージ不変性:

  クォークのアイソスピン空間の座標は 2成分(u、d)、クォークのカラー電荷空間の座標は 3成分(R、G、B)、クォークとレプトンは n 成分のディラック場を仮想的におくことができ、それぞれ SU(2)、SU(3)、SU(n)の回転に対して対称である。 n 成分の場合、複素 n 次元抽象的な空間を形作り、この内部空間における回転: ’ = U 、ただし  = (q1、q2、・・・、q) では、U全体が群 SU(n) を作る。 そして、この仮想的な空間において、通常の座標に表れている物理法則がそのまま成り立ち、それぞれの場に対して特定の空間対称性の座標変換を与えても法則の形式(数式)は不変である。そして、このゲージ不変性が素粒子を統一的に分類する基準になっている。(→ ゲージ理論とは?
            
  我々の内側にある、思索想いという様々な精神世界の空間意識の世界についても同様なことが成り立つ。心の中のある空間に、聖霊様が臨在したり、御使いが訪れたり、あるいは悪霊が巣食ったりする場合がある。 したがって、具体的対象事項に対してだけではなく、抽象的概念や心の中の空間に対しても、イエスの御名を用いて命令し、また、預言をすることができる。(ex. 「熱よ、引け」、「嵐よ、静まれ」、「わが心よ、強くあれ」など) このように、精神世界の空間でも、同じように霊の世界の法則が成立しているのである。そして、そのような空間にあっても、みことばは、すべてを貫く原理であり、永遠に変わらないものである。
  もし我々がみことばによって神様と同じ心に合わせるならば、神様の霊の世界に同調するようになる。神様のみことばによって信仰の空間世界を歩むならば、周りの風や波を見ないで水の上を歩くことができる。そして、霊の世界に対しプログラミングして発した言葉や行動は、この世の3次元の世界に成就していく。



  (5) 古典理論の適用:

  量子力学でも、インフレーション理論でも、我々にとって直感的によく分かる古典的な力学の数式をそのまま活用している。量子力学でまずすることは、古典物理の運動方程式の変数である 位置 x と 運動量 p を、不確定性原理による演算子を用いて量子化することであり、古典的形式である ラグランジアンやハミルトニアンがそのまま用いられる。また、インフレーション理論では、実態が何であるか全くわからないにもかかわらず、”インフラトン”という次元の高い素粒子を適当に想定し、同じように量子論の結果(零点振動など)を適用することができる。

  人は、このように、目に見える実態モデルをもとに、目に見えない世界を類推して、理論を構築していく生き物である。旧約時代の犠牲や儀式という「予型」を通して、キリストの贖罪という「実体」を知ることになるのである。予形は3次元、実体は4次元に属する。



  (6) 因果関係と確率性:

  一般相対性理論では、充分離れた所にいる者から見た ブラックホールに自由落下する物の様子は、時間 t が無限に間延びするように見えるが、落下する物にとって時間は 固有時 τ で経過して、有限である。また、我々から見える宇宙のそれぞれ反対側から来る遠くの光どおしは、光の速度が有限だから、お互いに因果関係を持たない。
  しかし、神様は、すべてのものの固有時を把握し、また、すべての被造物に対し因果関係を持っておられる

  また、量子論の基本原理は、1.波動性、および、2.確率性である。 水面下の複素数の波動そのものは、因果性、必然性、一意性、連続性を持っている(したがって、理論らしい理論となる)が、実際の個々の粒子の振る舞いは全く予想がつかず、非因果性、偶然性、確率性、不連続性によって行なわれ、人間が決して知ることができない領域である。(* 空間に一様に広がった1個の自由粒子の波動が、空間内のある一点に”波束の収縮”が起こるという ラオホの実験は、この確率性を典型的に表わしている。) この”確率性”は、神様の領域である。



  (7) 天地創造のモデル:

  天地創造の、特に、「大空の上にある水」(創1:7)は、普通は、ノアの洪水の時に降った雨の水蒸気層と解釈されるが(* この水蒸気層が在ったため、C14法による年代は非常に若くなる)、ここであえて、二重解釈として、第1、2日目を量子力学的に解釈してみたい。(第3日目からは地上的な解釈になる)

  初めの「大いなる水」というものが謎であるが、これは、量子論的な波動が飛び交うための複素数の空間であろう。第1日目に「光」が創造された時、この空間に光が満ちて飛び交っていた。光の質量は 0 なので、重力によって爆縮することは無かったと思われる。
  第2日目、この水と水が上下に分かれて、間に「大空」という3次元空間ができた。上の水と、下の水は、それぞれ、物質の波動関数 ψ その複素共役な波動関数 ψ* がコヒーレンシーを完全に保ちながら飛び交う空間であり、それらが大空(=真空)に鏡のように映し出され、実数として実現する、と考えられる。なぜなら、共役複素数の波動は、量子力学の再構築の初めから定式化されているものだからである。(→ 複素共役による定式化) 遅延選択実験(→ 4.(2)遅延選択実験)などの結果により、”波束の収縮”は”超光速の遠隔作用”であるので、(たとえ天文学的な距離であっても)3次元の距離にはよらない。したがって、この粒子化反応は、両水面下のコヒーレントな波動が突然表面に現れたように見える。
               
  (負エネルギー解の”ディラックの海”の空孔が反粒子となるモデルは、後にこれを考えなくても反粒子を扱えるようになったので、この創世記のモデルにする必要はないと考えられる。)


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